連作:夢の薬

(伊坂幸太郎:「終末のフール」冒頭)
 そろそろ行くぞ、と言ってベンチから立った。ビニール袋を持ち上げる。中
(MIKA)
央線のオレンジ色の電車がホームに入ってくると、目の前にいた女性がいきな
(希沙良さん)
り僕に向けて催涙スプレーを噴射し、慌てている僕の手からビニール袋を奪っ
(ソラさん)
て走り出す。涙でゆらゆらとにじむ視界にエスカレーターを駆けおりる背中と
(Tomo-sさん)
それを携帯片手に追いかける数人の女子高生が映る。これでいいんだ。残るは
(二葉亭さん)
あと一つ。ポケットから取り出した最後のビニール袋から「♪よ〜ろれいひ〜
(かちゅさん)
」をひとつまみして味をたしかめる。…ピリリと…甘い。不思議な味。徐々に

(MIKA)
回復してきた視界に、くだんの女性を追いかけて行った女子高生たちの姿が入っ てきた。改札を出ずに引き返してきたらしく、大声でしゃべりあっている。
「ねえねえ、すごかったよねー。ドラマ見てるみたいだったー。」
「それにしてもさ、催涙スプレーなんかふきかけられて、あの男間抜けだよねー。」
「しっっ。こっち見てんじゃん。気持ち悪いからあっち行こ。」
 勝手なことをわめきながら遠ざかっていく女子高生軍団を、まだ少しかすむ 目でにらみつける。

 と、胸ポケットの中から、ぞんざいな言葉が聞こえてきた。
「けっ、ほんとに間抜けだな、お前は。あの子たちの言う通りだよな。もうちょっ となんとかならんのか。この俺様にふさわしい飼い主とはとうてい言えないよ な、まったく。」
 思わずポケットの中から声の主をつかみ出したくなったが、そのまま逃亡さ れては寝覚めが悪いのでぐっとこらえ、小さな声でポケットに向かって話しか けた。
「誰のおかげで食えていると思っているんだ。少しは言葉をつつしめよ。」
「へん、俺様のこのかわいさをもってすれば、どんな奴だっていちころだもん ねー。誰にもかまってもらえないお前がかわいそうだから、飼われてやってい るんじゃないか。お前こそ俺様に感謝しろよ。へへ。」

 そう、「♪よ〜ろれいひ〜」とは、動物と話ができるという夢のような薬な のである。この薬を話をしたい動物に飲ませ、そのあと自分でも服用すると、 その動物と会話ができるのだ。
 小さいころから動物が大好きだった僕は、この薬の存在を知り、それこそ人 には言えないような苦労を重ね、やっとのことで2袋だけ手に入れ、うちのジ ャンガリアンハムスターと話をすべく期待に満ちあふれて使ってみたのである。
 が、結果はこの通り。体長10センチそこそこでふわふわの毛並みをし、手 足が短くずんぐりとし、おまけにまんまるできらきらとした黒い目を持つ生き 物が、よもやこんな悪口雑言を言い散らすとは。

 あまりのことに目の前が真っ暗になった僕は、この悪魔のような生き物を道 連れにして、電車に飛び込もうかと思いつめていたのである。
 しかし、催涙スプレー騒ぎのせいで、すっかりそんな気は失せてしまった。 それに、たぶん僕と同じような苦労をしたであろうあの女性に興味がわいてき た。というか、僕のように失望して世をはかなんでしまったら、と思うと多少 の責任も感じてしまう。

 そんなわけで僕は、お互いの匂いをかぎわけることができるという「♪よ〜 ろれいひ〜」の副作用を使って、彼女を捜し出すことにした。改札を出て香り をたどりながらしばらく歩き、とある古いマンションの一部屋にたどりついた。
 ためらいつつチャイムを押すと、妙齢の女性が顔を出し、僕の顔を見て心底 驚いていた。泣いていたらしく、目が赤い。
「さきほどは失礼なことを…。」
僕が何か言うより早く、彼女は深く頭を下げた。
「情報元は開かせませんが、あなたが『♪よ〜ろれいひ〜』を手に入れたと聞 いて、私は毎日それを奪うチャンスを狙っていました。と言いますのも、うち の猫の具合が悪くて、もう長くなかったんです。それで、せめて最後に言葉を 交わせたら…と思ってしまって。
 でも、間に合いませんでした。ついさっき…。」
 それきり彼女はうつむき、黙ってしまった。僕はなんと答えていいかわから ず、所在ないまま突っ立っていたが、突然胸ポケットから傍若無人な声が響い た。

「まあ、生きもんなんてのはいつか死ぬんだ。俺様はまだ1歳だけど、あと1 年かそこいらであの世行きだもんな〜。はかないよな。」

 猫と会話するためだったのだろう、「♪よ〜ろれいひ〜」を使っていたらし くはっと顔をあげた彼女は、何を言い出すんだコイツ、とあたふたする僕の胸 元を真剣に見つめていた。
 ポケットからちょこんと顔を出した僕のハムスターは、大きな黒い目をきら きらと光らせながら、こんなことを言い出した。

「でもな、俺様は、この間抜けなあんちゃんのおかげで、なかなか楽しいハム 生を送っているんだぜ。だからきっと、あんたの猫くんも、あんたに感謝して たんじゃないかと思うぞ。」

 僕の胸元を凝視していた彼女の目は、その言葉を聞くやみるみる涙でいっぱ いになり、そして聞き取れないほどの小さな声で一言、
「ありがとう。」
とつぶやいた。

 その後、僕と彼女と口の悪い1匹がどうなったかは、また別の機会に語るこ とにしよう。

(END)

※注 この物語はフィクションです。決してハムスターをポケットに入れて連 れ歩いたりしないでください。





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 昨年の「凶悪」な一行にすっかり慣らされて?しまったのか、帰ってきた「ま ともな」一行回しを見て、別の意味で驚いてしまいました(笑)。
でもこれは、ある意味「まともな話をちゃんと書け」というプレッシャーとも 考えられる次第で…(そんなわけないか(^^;)。

 以下、セルフツッコミ(爆)。
・「人には言えないような苦労」って何だよ?
・「電車に飛び込もうかと思いつめていた」人間が、「そろそろ行くぞ」なんて悠長に言うわけないだろうが。
・都合のいい副作用を作らないように(笑)。


 ミステリー’zMLで2006年4月から5月にかけて行われた、「連作大会」に参加したときの私の作品です。



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素材提供:Invisible Green